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☆今日は何の日 ―真白き富士の嶺の日 <かくれた話も…>

今日は、逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜で遭難した日です。

-真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
  捧げまつる 胸と心- これは「七里ヶ浜の哀歌」1番の歌詞です。

1910(明治43)年1月23日、神奈川県の逗子開成中学の生徒12人が、学校のボートを無断で乗り出して七里ヶ浜で遭難し、全員が死亡ました。

この悲報に接した鎌倉女学校の数学教師三角錫子は「七里ヶ浜の哀歌」を、ジェレミー・インガルスが作曲した賛美歌のメロディに乗せて作詞したといわれています。

2月6日の午後、逗子開成中学校の校庭で、姉妹校の鎌倉女学校との合同慰霊祭が行なわれ、僧侶150人、会葬者は4千人を越えました。

その翌日、朝早く逗子開成中学の舎監であった石塚巳三郎教諭が退職していきました。死亡者12名の内、7名が寄宿舎生であったことから、自ら責任をとったのです。

1915(大正4)年8月、この歌のレコードが発売されました。原題は『七里ヶ浜の哀歌』でしたが、歌い出しのフレーズから『真白き富士の根』と呼ぶのが定着しています。

1935(昭和10)年に松竹が、1954(昭和29)年に大映が映画化。この大映版のタイトルが『真白き富士の嶺(ね)』となっていたことで歌も、そう表記されることがあります。

なお、日本音楽著作権協会のデータベースには『真白き富士の根』 『真白き富士の嶺』の両方が正題として登録されています。


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