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☆今日は何の日 -振袖火事の日

きょう1月18日は、振袖火事の日です。

江戸では大火が100回余りあって、2~3年に一度は大火に見舞われました。中でも被害の大きさから、「明暦の大火」「目黒行人坂の大火」「丙寅の大火」を江戸の三大大火といいます。

明暦の大火:1657(明暦3)年、本郷丸山の本妙寺など三ケ所から出火。大名や旗本屋敷、寺社など1700余り、町屋400町と江戸の町の大半が焼失、死者は107000人にも及びました。

原因は、本妙寺の大施餓鬼に、娘の供養にと燃やした振袖が風に舞い上がって本堂に燃え移ったというエピソードが伝わって、別名「振袖火事」と呼ばれています。

この大火の教訓から、火災の延焼を防ぐ空間として、火除け空地や火除け土手、広小路などを設置し、各地に掘割りを造って消火用、避難用に対策を取りしました。

丙寅の大火:1806(文化3)年3月、芝車町泉岳寺前から出火して京橋・神田・浅草におよび、530余町を焼いて死者約7千人を出した火事。車町火事ともいわれています。

目黒行人坂の大火:1772(明和9)年、目黒行人坂の大円寺から出火。原因は坊主真秀が盗みのために寺の庫裡に放火したもので、焼失町数934町、死者14700人と伝えられています。

真秀はその後捕らえられ、火あぶりの刑に処せられました。また、この火災による大被害で物価が高騰、幕府は厄災を払うため同年冬に年号を安永と改め、平穏な世の中を願いました。
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「振袖火事」は、上野の大増屋十右衛門の娘おきくが、花見の時に美しい寺小姓を見初め、小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい、毎日寺小姓を想い続けました。

そして、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日、16歳で亡くなってしまいました。寺では法事が済むと、しきたり通り振袖を古着屋へ売り払います。

その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花の手に渡りましたが、それ以来お花は病気になり、明暦2年の同じ日に死亡しました。

振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘おたつのもとに渡ったが、おたつも同じように、明暦3年の1月16日に亡くなってしまいました。

おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談して、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにしました。

しかし、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突然吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となったとされています。

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