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☆「もずの穴」

もずの穴 (1) 元川 芹香

玄関横の小さな庭から、梅雨に濡れたアジサイがはじめにボクの帰りを出迎えた。ドアを開けるとボクの鼻はぴくぴくと動き、肺の中はあの匂いでいっぱいになる。

「ただいま~」 「惇ちゃん、おかえり。ちょうどアップルパイが焼けたとこよ」 母さんは取り出したばかりのパイを高らかに見せた。

「胸、痛くならないの?」 ボクは母さんに聞く。「平気よ」 母さんは少女のように、首をかしげてにっこり笑いかける。

平気なもんか。このアップルパイを焼いた次の日は、決まって寝込んでしまうのにどうして焼くのだろう?

「ねぇ、またあの粉入れたでしょ?」 「あの粉って、シナモンのこと?これが入らなきゃ、アップルパイと呼べないわ」

中国名ではケイヒって言って、桂という樹の皮。世界で最も古いスパイスだそうで、母の好きな香りだそうだ。母さんのウンチクがどうだって、嫌なものは嫌だ。

「ボクはあまり好きじゃない。だって、苦くて薬臭いんだもん」 「この高貴な香りがわからないなんて、惇一はまだお子ちゃまね。残念だけど、他におやつは無いんだな」

そう言いながら、切り分けたパイを大皿に乗せ挑戦状を叩きつけるようにボクの目の前に置く。「誰も食べないなんて言ってない」 焼きたての一切をサッと掴み、ボクは口いっぱい頬張った。 <続く>
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元川芹香さんの 「もずの穴」 は16作目の掲載作品で、作者およそ半年ぶりの登場です。しばらく、お楽しみください。

タグ:もずの穴
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